エロジジイ

そろそろ題名を考えるのが面倒になってきたとんわたです。

 

 

 

 

 

E期間は京大古文なわけですが、演習30分のうち残り5分くらいになると師が教室に入ってきて生徒の回答を確認します。

 

いつも僕をスルーするので逆にどんな人を見ているのかなと思って今日観察していたら全員女子でした。

 

とんでもないエロジジイです。女子にはめちゃくちゃ丁寧にアドバイスしています。男にもしろよ。

 

まあ気持ちはとてもよくわかります。

 

 

 

師は昨日の授業で「初日から難しい問題にすると明日から来ない奴がいるから今日は入門編です。明日から地獄やでぇ〜w」とおっしゃっていました。

 

2問中1問は文章は比較的プレーンだけど設問要求が高い問題。こちらは比較的イージーでした。

 

もう片方は信じられないほど難しい問題だったので本番でこれ出たら終わるな〜と思っていましたが、師曰く「こんなに難しい問題は東大でも京大でも出ません!」と。

 

師の自作問題だそうです。

 

じゃあ出すなよエロジジイ

 

師の自作問題はほぼ笑い話を使っています。

 

教科書や学校では絶対に扱わない文章なので毎度毎度古典文化の新しい一面を垣間見れているような気がします。

 

昔の貴族って今では信じられない性癖とか考え方してますよね。

 

 

 

しかし今日も今日とて設問要求の解説は流石でした。

 

この場合はこうする、というのを丁寧かつ正確に教えてくれます。

 

これを教えてくれるから師の授業を受けるのはやめられません。

 

 

 

 

師は昔、駿台ライブ配信授業?みたいなものが始まった時からそれを担当していらっしゃり、不適切な発言をし過ぎたあまり2年でクビになったそうです。

 

今年の映像授業は不適切な発言をすると最初から取り直しなので、何回も撮り直したとか。

悪口が大好きな師からすれば地獄だったのは容易に想像ができます。

 

「次そういうこと言ったらクビですからね!」と言われたそうです。師はクビになる前に、、

 

おっと、不適切発言をするところでした。

 

では。

 

ア(ピー)

 

 

 

 

draft

名前が「か」で始まり「る」で終わる、杉下右京の相棒全員に当てはまる法則に当てはまっているとんわたです。

 

今日からE期間が始まり京大古典の授業になりました。

 

3時間の授業で30分のテストと45分の授業を、間10分の休憩を挟んで2回行う物です。

 

名目上はテストと授業の間に5分の休憩がありますが師曰く俺がお前らにそんな休憩やるわけないだろ!だそうです。

 

師は京大工学部→文点して静岡大→東大大学院と進学したいわゆるバケモノなのですが、とにかく東大をコテンパンにdisります。 

 

政府のお気に入りとか犯罪者養成学校とか。東大に行ったやつは国会で謝罪するだけの暗い人生だとかです。

そんなことは無いと思いますけどw

 

京大行ったらノーベル賞やでぇとおっしゃいます。草。

 

師は関東駿台の京大受験のリーダー的存在で横浜校を京大受験の専門館にしたいそうです。

 

今回は初回ということもあって、京大の問題傾向や雑談ばかりで授業という授業はほとんどなさいませんでした。

 

まあいつもないのとほぼ同義なのですが。

 

師は大意の解釈に重点を置き、品詞分解を気持ち悪いとおっしゃったこともある方です。

 

いつも大意の解釈的な解説とほんの少しの文法解説しかしません。細かいところは全部生徒任せです。

 

しかしこれで駿台古典科で大きな地位を築いていらっしゃるところを見ると、師に安心してついていこうという気になります。

 

今日帰りに質問に行こうかと思いましたが、英語科の超重鎮的な先生と校舎長と仲良く談笑していらっしゃったので怖くてやめました。

 

 

 

 

日本で京大だけらしいんですが、解答用紙とともに草稿用紙も提出しないといけません。

 

なんとここも採点範囲に含まれているのだとか。今年ここに何か書いた記憶がありません。

 

こういうことをちゃんと知らずに受けたというだけで去年から駿台入っときゃよかったなあという気になります。

(6月くらいに知りました)

 

逆に言えば解答用紙だけの点であれだけ取れたということは決して筋は悪くなかったということなのかもしれません。どれだけの点かは想像にお任せしますが。

 

では。

 

BCH

のっけから自分語りの長いブログばかり書いていたので今日は短く済ませたいとんわたです。

 

自分語り好きな人とか騒がしい人は大体一人っ子か末っ子な気がします。

 

じゃあ長子とか中間子は大人しい人が多いのか?そんなことないかもしれない。

 

 

 

今回の一曲

B-BLUE / BOØWY 

 

布袋シリーズ(勝手に名付けた)の中で一番好きな曲です。

 

乃木坂好きな人は布袋を知らなくても名前くらいは工事中で聞いたことある曲のはず。

 

 

 

 

今日でD期間が終わりました。

明日から休みなくE期間に入ります。

どんな講習でも4日間毎日顔を付き合わせていた先生と会わなくなるというのは一抹の寂しさがあります。

 

D期間は、京大英作に加えて数学の割と基礎的な講座を、自分の土台となる数学力の確認として受けていました。

 

単元によって馬鹿にしとんのかというレベルの物からよくわからんという物まで、大きなバラつきがありました。

 

弱点を割と詳細かつ明確に把握できたのは自分にとって大きな利益だと思います。

 

 

E期間は京大古文です。

この4日間である程度古文はなんとかしたい。

 

今日割とちゃんとしたブログっぽいですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Cage

前々から食べたいと思っていたセブンのとみ田のつけ麺を食べたとんわたです。

 

594円は少し痛い金額ですがお店に負けず劣らずって感じで美味しかったです。

 

 

 

明日が盆の入りなので早く墓参りに行かないとなと思います。

 

お盆期間中に墓参りに行かないと故人はこの世にいないわけなのでまさに

そこに〜私は〜いません〜

状態なんですよね。

認識はこれで合ってると思います笑

 

お盆といえば京都の五山の送り火ですよね。

 

この間勝手に点火されていた大文字焼きです。

 

ご先祖様からすればこの世に降りてきてもねえのに送り出されちゃったという感覚なのでしょうか。

 

 

 

今回の一曲

Take the "A" train

 

言わずと知れたジャズの名曲ですね。

ジャズはほとんど知りませんがこの曲はよく聴いています。

 

余談ですが我々の高校時の世界史の先生はクラシックは大好きだけどジャズはめちゃくちゃ嫌いらしいです。

 

邦題はA列車で行こうで、このA列車とはニューヨーク地下鉄のA線という路線のことだそうです。随分無機質な名前です。

 

ニューヨーク(おそらくマンハッタン)の住民たちがジャズを聴きたいと思った時に、ニューヨーク北部にあるハーレムという黒人街かつジャズの聖地的な街にこのA線に乗って行ったという情景をジャズで描写した作品だそうです。

随分と洒落ています。

 

 

 

美空ひばりが日本語カバーしていますが、なんか微妙です。

日本語の発音は音楽に乗せて歌うのに向いてないという説もあるらしいですね。知らんけど。

 

 

 

 

死ぬほど長〜い前置きでしたが本題

病んでる感じがしますが病んでません。

イキっているつもりもないです!

ただ、なんの専門家でもない一個人のモノローグとしてサラッと読んでいただけるとありがたいです。

 

 

自分は世界にとって、誰かにとって、代わりのいない誰かであるのか?また、そうなることはできるのか?

 

他者との人間関係の中でこの疑問は多寡はあれど必ず出てくる疑問だと思います。

 

僕の出した答えはNOです。

 

全ての仕事は自分ではない他の誰かでも多少の効率差は出ても行うことができます。

自分の両親はたとえ息子が自分でなくても自分の時と同様に接し、育てたでしょう。

 

逆に、この人しかいない!と思った相手に振られてもしばらく経ったらケロっとしているなんてこともあるわけです。

この場合、帰結的にですがその相手は自分にとって代わりのいない誰かではなかったことが分かるわけです。

 

これは一国を統治するような存在であっても変わらない普遍的なもののような気がします。

 

 

だらだら書きましたが要は自分の代わりなんていくらでもいるということを言いたいのです。

 

自分というものはただ識別のために名前がつけられただけのヒトという生物の一個体に過ぎません。

 

自分は自分ただひとりの孤独な存在とも言えるのかもしれません。

 

自分の最終的な味方は自分しかいません。

自分の道は自分で切り開かないといけないでしょう。

 

しかし、見方を変えれば、自分のことは自分自身が自由に決めることができる。自分の決めたことに他人から文句を言われる筋合いはないわけです。(もちろん他人に迷惑をかけていいわけではないですが)

 

自由はどこにある?

そうだいつだって目の前にあるんだ

もう何も邪魔するものない

好きなことやればいい

自分が勝手に縛られて

ルールや常識の外に出ないだけ

存在などしていない 想像のCage

 

流石秋元康。良い詞を書きます。嫌いだけど。

 

 

 

 

「京大には自由がある」

あまりにも有名な一節です。

この謳い文句がいつから好きだったのかあまり覚えていません。それほど前からです。何年片想いしてんねん。

 

一人暮らししたいとか、京都の景色が好きとか、関西弁の女の子いいよねとか(主にこれですが)、様々な理由と絡み合って僕は京大を志望することにしたわけです。

 

他方、僕は都市の景色や人工物が大好きです。

 

写真集で見るのなんかは嫌で、とにかく自分の目で見たいです。でも一応見返すために旅行に行くとパシャパシャ街の風景を撮っています。

 

研修旅行の時班のみんなにここで解散!と言って一人で長崎駅の周りを撮って歩いてました。迷惑かけて申し訳ない笑

 

どこの景色が好きとかの話はまた別の機会に。

 

あともう一つ好きなのが交通。

飛行機とか電車とかその辺の類です。

 

だからスターウォーズも好きなのかな笑

 

これは父親の影響が色濃くて、父親は僕のことをどうやらエンジニアにしたかったようです。

 

確かにこういうの好きな人は理系に行くイメージですが、僕が文系には行ったのは何故、、、

 

交通といっても乗り物本体の機械的な仕組みというよりそれを取り巻く環境的な整備の方に興味があるわけです。

 

近代の歴史的、経済的事象はすべて交通によって支えられてきたと言っても過言ではないと思います。

逆に交通が発達したから歴史が動いたとも経済が発達したとも言えるわけですが。

 

そういうわけで自分には交通というものがとても奥深く感じられるわけです。

 

小学生の頃は管制官もいいかなと思いましたがあまりにも責任重大でストレスがとんでもなさそうなのでやめようかとwww

 

なんとなく今回の一曲にA列車で行こうを選んだ理由は分かって頂けたでしょうか。

 

そしてこれはあくまでこれは副次的な要素ですが僕はとてもお金にがめついw

 

つまり目指す先は、、、言うまでもないかもしれません。

 

 

京大の経済学部には都市経済論、交通経済論という授業があります。

 

都市経済論は、都市形成のメカニズムや都市財政について。

交通経済論は経済活動の立地と交通の関係や、交通投資、交通需要について学ぶようです。

 

これら二つを同時に学べるのかはよくわかりませんが、担当教授が同じ人のようなのでなんとなく一挙両得な気がします。

都市と交通は親和性と同時に類似性もかなり高いのでなんとも言いにくいですが笑

 

ということで。

超大作になってしまいましたが、僕は自由な学風の京大で(ここ大事)都市、交通経済について学びたい!

 

他人にとって自分は必要なのか?という疑問の話が要ったのかは聞かないでくださいwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

距離感

朝から南武線が止まって講習に遅刻しかけたとんわたです。

 

 

近鉄壁に付箋を貼り始めました。

 

2度と触れなくていい単語以外全部に貼っていたらとんでもない量になっていましたが、元々2000語以上ある単語帳なので見かけの圧迫感に気圧されないようにしたいと思います。

 

 

せっかくなのでブログを書くたびに一曲何かおすすめの曲でも紹介したいと思います。

 

偏りがすごい上に有名曲ばかりだと思いますが知らない曲があれば是非聞いてみてください。

 

ということで今回の一曲。

 

涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~
/サザンオールスターズ

 

最近日に10回くらい聞いてます。サザンの夏曲の中でも特に有名なものの一つです。

 

情景描写が抽象的ですが、そこがまた想像を掻き立てます。

 

 

 

さて、今更本題に入りますが僕はD期間、京大英作文の授業を受けています。

 

京大英作文は基本的に4つに分類できます。

 

1.和文英訳

 

2.和文英訳の一部分が空欄になっていて、その部分を前後の主張との一貫性を保った上で英作

 

3.英語で行われている会話の一部分が空欄になっている英作

 

4.あるテーマに関する自分の意見を英作

 

京大の英作は二問出題され、ここ数年来一問は1.型、もう一問はそれ以外のいずれかの型が出題されています。

 

しかし2020年の入試では手紙を自力で作る問題が出題されました。

 

手紙の書式なんて勉強してなかった僕はここでかなりの失点したというわけです。

 

一つでも知らなかったら落ちると思え。

 

駿台の某師の教えの通りだと思います。

 

あのツンデレ、言ってることは信じられないくらい的を得ています。

 

 

1.2.の型では当然問題中に日本語の文章が出てくるわけですが、この文章がまた難しい文章なのです。

 

単純に直訳するだけでは当然点数などもらえるはずもなく、英訳する前に日本語の文章を噛み砕いて平らなものにしないといけません。

 

例えば、日本語の「苦手」という単語には『不得手である』というニュアンスと『扱いにくい事象と相対することに気が進まない』というニュアンスがあります。

 

当然この二つは英語にすると違う表現になるわけなので、きちんと考えないといけません。

 

そこで重要になってくるのが距離感です。

 

これは読解にも言えることだと思いますが、英語と日本語、あまりに違いすぎる二言語のどちらと距離が近すぎてもプレーンな訳出、解釈になりません。

 

 

京大英語は日本語と英語、二つの言語を媒介としてその人の本質的な言語力、つまり言語に対する距離的なバランス感覚(これは一言語でも複数の言語でもですが)を試しているのだということを改めて実感しました。

 

読解問題と英作だけでこれがすべて測れてしまうから余計な問題はいらない。

 

という二つの意味でスマートなところが、京大が僕の心を惹きつける理由のうちの一つであることは疑いの余地がありません。

 

 

人間関係や昨今のご時世と同じく、言語においても距離感がとても肝要なんですね。

 

受験で学校が何を求めているかの理解を深めることは大切ですが、評論家になりすぎるのは良くないのでこのくらいで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ

ブログを始めて見ることにしました。徒然なるままに書こうと思います。

 

特に文章の推敲とかそういう高尚なことをするつもりはありませんし、定期的に投稿する気もありません。

 

もしかしたら今回が最初で最後かも笑

 

 

始めようと思った理由は浪人してる周りの友人がやっていて興味を持ったからです。

 

心の深いところには浪人して溜まるストレスとか、自己顕示欲的なものもあるのかも。

 

 

さて、このブログのタイトルについてですが、周りの友人達は自分の名前と勉強を掛けた、センスとユーモアに富んだ(笑)ものをつけていますが、自分の名前でそういうことはできそうもありません。

 

未だ迷走中です。決まったら勝手につけますね!

 

夏期講習が始まって2週間余り。例の如く自分が成長しているという実感が全くありません。

 

光陰が矢の如く自分にブスブスと大きな音を立てて刺さっている。そういう感覚です。

 

もともと際の際までやらない人間なので多少の焦燥感があった方がいいのかも。

 

 

 

先週は駿台の夏期講習のタームでいうとC期間。月曜は休日、土日は東大実戦模試(京大なので関係ない)でした。

 

自分のC期間は共通テスト古漢と地理の授業、いわゆる楽々デイズだったわけですが、B期間の東大京大古文の授業と合わせて、この10日余りで自分の古文、漢文に対する意識が大幅に代わりました。

 

背景知識と文章の大意をつかもうという意識を持って古文に接すること、中国人という論理的感覚の極めて優れた人たちの考えを自分の身に落としこむこと。

 

これらは自分が浅野にいた時に身につけることが出来なかった部分です。

 

勿論どちらの授業が優れているというわけではないですが、自分にはこちらの方がやりやすいと感じました。

 

 

あまり関係ありませんが、英語圏や中国語圏には日本語的な「一を聞いて十を理解する」「空気を読む」「目で会話する」といった概念は基本的に存在しないんですよね。面白い。

 

 

 

話は変わりますが、先週は懐かしい人と会ったり話したりする機会が何回かありました。

 

特に昨日ある友人からもらった手紙には感動しました。ありがとう。本人にも直接言ったんですけどね。

 

 

 

結構書いちゃったんでこの辺で終わりにします。

 

字面というのは感情が読みにくくて難しいものです。レトリックをぶち込んで色鮮やかに自分の文章を飾り付けてきた先人達。すげえ。

🥺🥺🥺🥺